Sunday, March 27, 2011

ところで、今日は一時的に震災報道が途切れた。それまで意識していなかったけれど、震災
当日にほうほうのていで帰宅してからというもの、ぼくはテレビに釘付けだった。通勤中は
ラジオとTwitterで常に情報を入れていたし、寝室でもUstreamでNHKとTBSを2窓で開いて
いつの間にか眠りにつくという有様だったのだが、今日、それが途切れたとき、猛烈に不安に
なった。終わってしまう、と思った。

ぼくは完全に、震災報道中毒になっていた。不安と恐怖を摂取することに慣れてしまい、
あまつさえ快楽さえ覚えていたのかもしれない。以前は震度3などという地震がくれば文字通り
震え上がっていたぼくだが、毎晩余震に揺すられるうちに「今回は警報が間に合ったな、
今回は外れだな」などと緊急速報を値踏みしたりしている。

ネット上にはさまざまな情報が流れている。政府の中途半端な情報開示に憤る人、独自の論で
不安をあおる人、美談に触れて涙する人。そうした人々を追いかけ、共感したり、ひとり
嘲笑したりしている。思えば911のときも3日間くらいテレビに貼り付いたが、あのときは
すぐに日常に戻ることができた。言うまでもなく、それは対岸の火事だったからだ。

今の刺激に慣れてしまえば、あとは倦怠の日々が続くだけだ。聞くところによれば、計画
停電は夏すぎまで続くのだという。面倒でたまらない。経済だって下降するだろう。そんな
なかで、いったいいつまで被害者の冥福を祈ったり、知らない土地の復興を祈ったりすれば
いいというのだ。原発の処理には数年かかるというじゃないか。2万人も死んだっていう
じゃないか。それを忘れることなんて、できるわけないじゃないか。

冗談じゃない。もう何も楽しめない。もう何も楽しめない。

ttp://anond.hatelabo.jp/20110320032147

はてな民 「震災の影響で“震災報道中毒”になった。不安と恐怖が“快楽”になってしまった」 | ライフハックちゃんねる弐式

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